乗り越える

久々に成長記録。長文です。

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ムスメは4歳のときから水泳教室に通っていて、プール大好きでいつも楽しんでいたのに、
2ヶ月ほど前から、急にプールに行くのを嫌がるようになった。

いわく、進級してから急に難しいことをやるようになって、それがうまくできない、難しい、しんどい、とのこと。

はじめは誰だって難しいもんよ、練習してればそのうちできるようになるよ、今までだってちょっとずつできるようになってきたやん?
と説得しつつむりやり連れて行くも、嫌がり方がだんだんひどくなり、ついには号泣して暴れだすように。

あ、これもう無理かもな。
そこまで嫌がるのをむりやりやらせてプール嫌いになっても本末転倒だし。

「どうしてもプール行きたくない?」
「うん」
「じゃあもうプールやめたい?」
「……うん」
「今もしプールをやめても、小学校になったら体育でプールの授業あるし、どのみちやらなきゃいけないよ。いまやっておけば小学校に行ってから楽だと思うけど」
「小学校になったらやる」
「今いったんやめて、小学校になったらまたプール習う?」
「それでもいい」

うん。まあ、それもいいかもな。本当にもう一度習い始めてくれるかどうかはわからないけど。
せっかくここまで頑張ったのに勿体無いけど、もともと少し体力つけばいいやくらいの気持ちだったし。本人が本気で嫌がってるなら無理に続けさせることもないし。

「じゃあ、今日プールに行って、先生にそう言ってこようか。それで今日でプールは一旦おしまいにしよう」
「いやだ」
「ん?」
「今日行きたくない」
「でも行かなきゃやめますって言えないよ?」
「じゃあやめない」
「」

これアレだ。今目の前にある苦痛をとりあえず先延ばしにしたいだけのやつだ。
本当にやめたいのか続けたいのかとか深く考えてないやつだ。

「とにかく今日行くのがイヤなの?」
「うん」
「でも今日行かないと「やめます」って言えないから、来週は行かなきゃいけないけど。今日休んで来週行く?」
「うん」
「ほんとに?来週になって「やっぱり嫌、行きたくない」って言わない?」
「ちゃんと行く」
「約束する?」
「うん」

…それが2週間前。

1週間後。やはりというか想定どおりというか、やっぱり行きたくないと駄々をこねるんですが、
そこは約束なのでむりやり連れて行く。
終始無言、死にそうな顔でプールに向かうムスメさん。正直、この日でやめるっていう可能性も高いな、と思ってました。

思ってたんですよ。

プールが終わり、なぜか晴れやかな顔で戻ってくるムスメさん。

「泳ぎ方わかった」

ん?

「先生に泳ぎ方教えてもらったら、できるようになった。簡単やった」

んんん???

「え、何。今までは教えてもらってなかったの?それでできなかったの?」
「うん」
「それが今日急にできるようになったの?」
「うん」
「じゃあもうプール嫌じゃなくなった?」
「うん」
「」

なんかもう。なんかもう。なんなの。
この2ヶ月くらいの葛藤はなんだったの。

そしてそれから1週間後の今日、
やる気満々の笑顔でテストに臨んだムスメさんは、無事合格ワッペンを手にして戻ってきました。

2015-12-26 21.45.29

めでたしめでたし。

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っていうね、
「何なのそのご都合主義その途中のところいったい何が起こったの意味わかんないよ」っていう尻すぼみな小説みたいなね、
まあそんなことがあったんですけどね、

小さいながらも「壁にぶち当たってどうにか乗り越えられた」っていう経験を5歳のこの段階でやっておけたの、結果としては良かったなーと思うわけです。
本人も何かしら自信ついただろうし、次に何かで絶望したときに励まして説得する材料にもなりますしね!

実は1年前に同様の成り行きで体操教室に行かなくなって、そのときはムスメに押し切られる形で辞めてしまったんだけど、
あれも無理にでも続けてればうまくいくこともあったのかな。
嫌になって辞めたことで苦手意識が残ったままになるのと、無理に続けて本気で嫌いになっちゃうのと、どっちの可能性もあるしどっちがマシとも言えないし、
せめて辞めるなら本人としっかり話し合って納得して辞めさせるようにしたい。
少なくとも今回みたいな「とにかく今日行きたくない、来週のことは考えてない」みたいなパニック起こしてる状態で判断させるのは勿体無いような気がする。

…という記録を残しておきたかったので長々と書いてみたものの、
肝心の「乗り越えた方法」が意味不明なので何の参考にもならない。
ほんと参考にならない。
育児とか教育なんてそんなもんです。